穆亮墓誌

拓本・法帖

 墓誌銘なので作者不明ですが、碑に彫られた人物は穆亮(451~502)と言います。

 

 字は幼輔。代郡の人。献文帝のとき、中山長公主をめとり、馬都尉に任ぜられ、趙郡王に封ぜられます。

 

 孝文帝がたつと、征南大将軍・護西戎校尉となって、仇池に鎮します。

 

 宕昌王梁弥機が没し、子の弥博がたちますが、
吐谷渾に迫られて仇池に逃れます。

 

 穆亮は梁弥博に代えて梁弥承を立て、吐谷渾を討ちます。楊卜を広業太守に立てると、西辺は静まります。

 

 召されて侍中・尚書左僕射となり、のち司空に累進します。帝が洛陽に南遷すると、武衛大将軍を加えらます。

 

 孝文帝が南征すると、録尚書事となり、洛陽の留守を守ります。宣武帝のとき、尚書令となり、司空公に転じます。死後、太尉を追贈されました。

 

 穆亮墓誌銘は大魏景明二年(紀元502年)刻まれ、1925年洛陽で出土、今は碑林博物館に保存。魏体楷書のお手本としては最高級クラスです。

 

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最終更新日:2010年3月15日