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■年末年始の中国を想うとこの作品を思い起こします。
師走の十二月二十三日は、天皇誕生日です。中国では古来、ろう月二十三日には「送竈」という竈の神を祭る、重要な年中行事が行われてきました。というのは、この日、各家庭で一年間をすごした竈神すなわち、神灶王爺さは、昇天してその家に住む人びとの行動の善悪を天帝(神様)に報告しにいく、と信じられていたのです。そこで、その家の人びとは竈の掃除をして竈の神にお供え物を贈り、さらに竈にアメを塗ったりして、天帝によい報告をしてもらうように、期待したのです。 古都北京の行事、風俗を紹介する「北京年中行事」(満鉄北支事務局、一九三九)には、こう描写されています。
祀るときは竈に盛に火を焚きその前に飴を置く。その溶けたのを竈口に塗る者があるが、これは竈の神が家のことを悪く云はぬやうにとのまじなひである。
現在も「送竈」の行事は、北中国の農村部において、旧正月の行事として継承されています。 そして、この竈祭りが終わると、いよいよ正月のお飾りの準備をします。各家々は、赤い紙にめでたい文句を対にして書いた「春聯」や魔除けの神様を一対に描いて門扉に貼る「門神」を貼り替え、居間には赤ん坊や桃などを刷り物にしたおめでたい吉祥画、いわゆる「年画」を飾るのです。 中国人の知識人は年賀状に、 萬福屏中春永茂 万福の屏中に春は永えに茂り、 千年枝上日重光 千年の枝上に日は重ねて光る。 という春聯が、少し右上がりの痩せた独特の字体で、書いたりします。。 そんなとき、揚州八怪の一人で「六分半書体」の字で有名な鄭燮(号は板橋、一六九三~一七六五)を驚きのうちに連想するものです。

■鄭板橋の字のもつモダンさ
鄭板橋の字のもつモダンさ、ある種の近代性に心惹かれ、有名な「難得糊塗(ナンダーフートー・バカは得がたし)」の拓本を蘇州で買い求め、扁額にして書斎に飾るとこれまた趣があります。 「国朝詩人微略」の著者で、書にも優れた張維屏(一七八〇~一八五九)はその「張軒随筆」のなかで、
板橋大令には三絶あり。曰く画、曰く詩、曰く書なり。 三絶の中に三真あり、曰く真気、曰く真意、曰く真趣なり。
とのべて、鄭板橋にすこぶる高い評価をあたえているのです。 張維屏のいう「三真」すなわち鄭板橋の書画のモダニズム、ある種の近代性は、鄭氏が住んでいた揚州の街の特質を反映するものでした。 三国時代、呉の孫権が支配した揚州は、とくに宋代以降、中国第一の塩の集散地として繁栄し、揚州八怪をはじめとする文人を輩出して「塩業の富の力が文芸の士を牽引吸収して、鬱然たる一つの芸術国」(青木正児「江南春」平凡社東洋文庫)だったのです。揚州はアヘン戦争以前の前近代の中国において、いわば資本主義の萌芽がみられたところでした。
■「対聯」も存在します。
揚州の北東約百キロ、鄭氏の生まれた江蘇省興化県の「鄭板橋故居」には
三絶詩書畫 一官帰去來。三絶は詩書画、一官は帰去来。 室雅何須大、花香不在多。室雅は何ぞ大なるをもとめん、花香は多きにあらず。
という、「対聯」があるそうです。
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