| 唐の太宗皇帝が愛した 王義之 蘭亭叙 |
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■王義之が歌会の宴で作った詩集の序文です。
東晋の穆帝の永和九年(353年)も3月3日、右軍将軍会稽内史であった王義之は会稽山陰の蘭亭において禊の行事を行い、流觴曲水の宴を催した。当時としては一流の文人貴族が顔をそろえ、計四十有一人であった。その時に作られた詩の序文を義之みずから書いたものを「蘭亭叙」と呼んでいる。
■蘭亭の場所は現在では定かではありません。
蘭亭は現在の浙江紹興の郊外に位置するが、その名の由来は越王句踐が蘭をうえたという伝説によるという。しかしながら蘭亭は、数百年の後には、実際の場所がどこであったかわからなくなってしまう。明末の万暦年間に、除貞明が石柱を立てて、その故址を表した。
■王義之は「書聖」と言われるほどの書の達人ですがこれだけの作品はもう一度書けませんでした。 蘭亭叙は蚕繭氏に鼠鬚筆で書かれ、愁眉にして頸健、世に並ぶものがなかった。
■唐の太宗皇帝は蘭亭がどうしても欲しくてだましとってしまいます。
義之は自らこの書を宝愛し、子孫に与えた。 後年、唐の太宗が王義之の書を酷愛し、その真草書帖三千六百紙を集めたと言われるが蘭亭だけは得ることができなかった。 そして蘭亭のありかを知った太宗は蘭亭をだましとってしまった。 そしてたくさんのコピーを作成した。
■太宗はこの書を愛すあまり、墓にまで持って行ってしまいました。
そしてその臨終の際には、自分の墓に陪葬し、蘭亭叙はこの世から姿を消してしまった。その後、コピーがコピーを生んでたくさんのコピーが作られた しかし、そのコピーも大変、作品性、骨董性などを備えて現在に至ります。 |
